nekoの夢見

御穂須須美 その2


沖縄は昨日あたりから本格的に暑いです。周りに聞くと個人差が

あるのでよく分かりませんが、私の感覚だと今年は去年より

随分と「涼しいなぁ」と感じてました。これから10月まで猛暑が

続くのか冷夏になるかは定かではありませんが。。。。。


数年前から石垣あたりで『 でいご 』(梯梧)の『 ヒメコバチ 』

などにより花が咲かなかったり、樹が枯れたりなどの被害が

多くでているそうです。

「でいご」の花が沢山咲いた年は「台風の当たり年」と言われてますが、

確かに今年はnekoの家の近所の「でいご」も「ヒメコバチ」にやられて

花がほとんど咲いていません。

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さて、長らく手がつけられずにいた「御穂須須美」近辺のこと

ですが、まずは出雲の「美保神社」から。

祭神は「三穂津姫命」と「事代主神」(=えびすさん)なんですが


■三穂津姫命 高天原の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘で

大国主神の后神として、高天原から稲穂を持って降嫁され、稲作を

広めた。とあります。

ウィキペディアより
『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場する。

大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊

大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とする

なら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、

八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔した。


■事代主神は、大国主神と神屋楯比賣の息子で別名「八重言代主神」

など。以下はウィキペディアより

葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、

大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこで

タケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」

と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に

隠れてしまった。

タケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、

事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちもは事代主に従って

天津神に背かないだろうと言った


名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。

言とも事とも書くのは、古代において言(言葉)と事(出来事)とを

区別していなかったためである。

大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ

国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は

葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ
、託宣の神の格も

持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を

占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。葛城には、

事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂神社(上賀茂

神社・下鴨神社)のような全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の

名前の由来となっている。

美保で青柴垣に引き籠った事代主神は、伊豆の三宅島で三島明神に

なったとする伝承もある。富士山の神とともに10の島を生み
、現在の

三嶋大社(静岡県三島市)に鎮座したとする

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「美保」の地名の由来となった「三穂津姫」さんですが、これは神の

置き換えがあったようで、元は『 御穂須須美 』(コシの国のヌナカワ姫の子)

がこの地の祭神だったようです。



■ 伊萬太千さん 
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/miho.htm より

事代主命・三穂津姫命といふ神名が出雲国風土記にはどこにも

記されていないということである。 そして風土記の美保郷の條には 

「所造天下大神命、娶高志国坐神意支都久辰爲命子

俾都久辰爲命子奴奈宜波比売命而令産神御穂須須美命

是神坐矣。故云美保」 と記されているということである。

 すなはち、ここは所造天下大神大穴持命と奴奈宜波比売命との

あいだに生れませる御穂須須美命の鎮まりますところであつた、されば

その美保郷の地名を負ふ美保の社の主祭紳がこの御穂須須美命と

無縁であるはずはない。

 岸崎左久次は天和三年(1683)の『出雲風土記鈔』で 「併祭神

御穂須須美命与御祖大穴持命、及御母奴奈支智比売命而、

言三社大明神是也」 としているが、その三社大明神という社号の

ことはともかく、風土記をもとにする『風土記鈔』がかく御穂須須美命を

主祭紳と考へるのは当然のことといはねばならない。

 しかるに、これが前述のごとく、中世のいつごろからか三穂津姫命・

事代主命の両神にとつて代わられるのである。

 しかし風土記のころにはもつぱらこの郷の祖神たる美保須須美命を

祭神とするものであつたろう。 それがやがて記紀神話の下降に從い、

あの国譲りの話で有名な三穂津姫・事代主の両神をもって祭神とするに

至り、さらには主として事代主命の方をもって祭神とするに至つたものと

考へられる。 そして想像すれば、これにはあの福神としての夷神信仰

の普及が興って力あったものと思われるのである。 夷神をもってわが

事代主命のこととし、かつ大黒天とともに福神として祀るふうは中世に始まり、

次第に深く民間に深透するに至ったが、現在では神社当局としてもこの

考えを積極的にとり入れ、その頒布物に「ゑびす様総本宮」の語を入れる

に至つている。



 このように、地方神から皇統神への祭神の変更は、中央集権の

確立によって、皇統中心の信仰体系が地方に及んでいった事を示すもの

であるが、この祭神の変更をいつの時点にするかは、今のところ明らか

ではない。なお、美穂神社は、その後美穂関が港津として発展するにつれ、

信仰圏を広げていったものと思われる。

 美穂須須美命は、美しい稲穂の実りを進める神との解釈もあるが、

須須を見る神、即ち北陸の※1 珠洲(石川県)のあたりを守る神と解する事も

できよう。 このような例から、島根半島東部と北陸地方との間には、

古くから交渉のあった事が判る。(気多大社)

 しかし、出雲から越へ積極的に進出したのか、その逆であったかは、

現時点では明確ではない。

               ~八束郡誌より~


※1 石川県珠洲市狼煙町にある須須神社奥宮に御穂須須美

が祀られています。


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神話では「大国主」(八千矛神、大穴持命 etc)は女神にモテた?

のか本妻の「須勢理比賣」は嫉妬深い女神として描かれており

ますが、大国主が旅に出る(別宅の妻に会いに行く?)のですが

須勢理比賣の心がまた乱れているのを知り、大国主は彼女に

歌を送ります。


『 ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 

胸見るとき はたたぎも これは適はず 邊つ波 そに脱きうて 

そに鳥の 蒼き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見る

ときはたたぎも これは 適はず 邊つ波 そに脱きうて 山縣に 

あたね舂き 染木が汁に しめ衣をまつぶさに とり装い 沖つ鳥 

胸見るとき はたたぎも 比し宣し いとこやの 妹の命 群鳥の

我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは 

汝は言うとも 山處の 一本薄 項傾し汝が泣かさまく 朝雨の 

霧に立たむぞ 若草の 妻の命の ことの 語りごとも 是をば


夜の闇のような黒い素晴らしい衣(誰??)を完璧に装っても私には

似合わない、波に流してしまおう。翡翠のような蒼い素晴らしい衣(これは

多分沼河比売)
を完璧に装っても私には似合わない、波に流してしまおう。

山の畑の茜草で染めた赤い素晴らしい衣(須勢力比売のこと)が私には

一番似合うようだ。渡り鳥のように私が旅立ってしまったら君は泣かないと

いっていても、きっと泣くのだろうな。それを思うと哀しくて霧のように

溜息が出てしまうよ。)』


古事記には赤・青・白・黒の四色が出てきます。

この四色は四神の色です。順に朱雀・青龍・白虎・玄武です。

そして大体その所属(?)によって色が決まっているような感じです。

赤は出雲系(スサノオ系) 青は地上の神 白は高天原系(アマ

テラス系) 黒は黄泉。


翡翠色(青)のヌナカワヒメは地上の国つ神だし、スセリヒメは黄泉から

出雲につれてきたので赤。これで行くと黒の黄泉のひめが居るはずなのですが、

残念ながらここではわかりません。 by 古事記研究所第9分室さんより 

http://www.geocities.jp/tomasanjp/kojiki9.html


************************

ここに登場する「コシ」※2の国(翡翠の産地で有名な糸魚川の

ところ)の姫 『 ヌナカワ姫 』=『 御穂須須美 』のお母さん

が登場します。

沼河比売(奴奈川姫  奴奈宜波比売) ウィキより

『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。

八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、

高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。

沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。


『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承

では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川を

さかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。

『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子と

なっている。


『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命

(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、

大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命を産んだと書かれている



※2 日本書紀には一つの地域として越、(越洲(こしのしま))という

名が書かれている。表記については、古くは「高志」「古志」などとも

されたが、7世紀末の分割時かそれに近い時期に「越」にほぼ統一された。

地理的な範囲は敦賀の氣比神宮から船出し日本海を北上して、羽咋の

気多大社を経て、さらに弥彦神社がある弥彦山を右手に見るまでを

一つの地域として「越」と呼んだ。

************************

話しがまとまっていきませんが(笑)、「ヌナカワ姫」のお母さんは

「黒姫」さんとおっしゃり、 新潟県・青海町の「黒姫山」に祀られて

いらっしゃるそうです。


「西頚城郡田海(にしくびきぐんとうみ)村を流るゝ布川の川上に

黒姫山と云ふ山あり、奴奈川姫の御母神「黒姫命」の住座し給ひし山なり。

山頂に祠有り黒姫明神(くろひめみょうじん)と称す。又、黒姫権現

とも云う。此神ここにて布を織り其の川の水戸に持出で滌曝まししに

よりて布川と云う。」
                        『天津・奴奈川神社』  

機を織っては洞窟から流れ出る川でその布を晒した。 それでこの川を

「布川」と呼ばれ布川が<沼川>・<渟名川(ぬなかわ)>と云われる

ようになった。(現在は田海(とうみ)川と呼ばれている。)とあります。

※黒姫命が祀られている「黒姫山」の麓には鍾乳洞があり、中には

日本最大級と云われる「地底の大河」があるそうです。


ここ以外にも長野県中野市にあり別名「信濃富士」とも呼ばれ黒姫山

がありやはり「黒姫命」を祀っているそうで、あと一箇所、新潟県柏崎市

高柳町の黒姫山、山頂にある「鵜川神社」の分霊を勧請して創建された

「黒姫宮」というお宮があるようです。長野と新潟に3つの「黒姫山」があり

いづれも「ヌナカワ姫」の母神である「黒姫命」を祀っているということの

ようです。

黒姫命はおそらくは「古事記」「日本書記」には記されていないと

思うのですが、娘の「ヌナカワ姫」の子供についても同じことが言える

ようです。

出雲国風土記には 

”俾都久良為命” 子 奴奈宜波比賣命 而、令 産神、 ”御穂須須美命” 

是 神座 矣。故、云 「美保」。

と記され、ヌナカワ姫の子とされる「建御名方神」の名はここには

登場しません。逆に、『古事記』 『旧事本記』では「御穂須々美命」の名前

が記されていないようです。

古事記に大国主の子として登場する建御名方神ですが、

ウィキより

「 建御雷神が大国主に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主は息子の

事代主が答えると言った。事代主が承諾すると、大国主は次は建御名方神

が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の

手を掴むとその手が氷や剣に変化した。これを恐れて逃げ出し、科野国の

州羽の海まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、

建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。

この建御雷神と建御名方神の力くらべが後に日本の国技となる相撲の起源

となったと伝えられている。なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、

『日本書紀』での葦原中国平定にあたる部分に彼の名は見えない。 」とあり

先述の「御穂須須美」と同じ神だとする説もあるようですが、私は2人が同じ

存在だとは感じません。根拠となるものは無く、ただ感じる。としか言いようが

ないのですが。。。。。「ヌナカワ姫」のお母さん「黒姫」と同様、「御穂須須美」

(私は女神かな?と思いました)も埋没させられたのかな?と思いました。


話しを「美保神社」に戻して、美保神社で有名な祭事『蒼柴垣神事

をみていきたいと思います。(長くてすみません)


この神事は「事代主」が国ゆずりの故事によったと言われて

いますが、一般的には「お葬い」の復演と解釈されているそうで、

「祭りといっても厳粛でさびしい祭りである。」と吉野裕子さんは

書かれています。

蒼柴垣神事において、「長型の扇」が祭具として登場しますが、

吉野裕子さんの著書によると

『 浦葵(=ビロウ)葉型の長型の扇が、祭りの大棚の中央に

挿され、また頭屋が祭りの期間中、この扇を手から離さないこと。』



四月七日、頭屋の家に飾られる「大棚」については


『(大棚)の中央には「八雲板」とよばれる鏡板を立て、向かって

右方に「日像」「青龍」「朱雀」の鉾と真の幣(しで)、

向かって左方には「月像」「白虎」「玄武」の鉾と、奉幣鉾と

が飾られる。

鏡板には「影向の松」と「鳥居」が画かれ、その上部中央に

浦葵葉型の「長型の扇」が挿される ~省略~

棚の向かって右方は東方と男性を表す、何故なら日像の

鉾は東、太陽の上るところで神の世界を表すが、青龍も

また東方の霊獣だからである。朱雀は南、南の午の方位で

午方は男性の座である。

向かって左方は西方を示し、人間界と女性を示す。~省略~


つまりこの大棚の右方は東方の神の世界、左方は西方の

人間界をあらわし、東方の神霊、種神の西方、人間界への

渡来を暗示する、そして種神は浦葵に宿り、地母霊をあらわす

「イビ」と合体して「稲の実り」をもたらす。
その媒ち、あるいは

地母霊の代表は本来女性の巫女がつとめるはずであるが

日本本土では男性が祭祀権も手中に収めてしまったから

頭屋も男がつとめているが、やはりそれは祭り切れないので

その妻の小忌人や供人がそれを補佐している形である。

この大棚の飾りはそれだけの意味を含めている。それだから

頭屋は沖縄の豊年祭りにおける巫女たちと同様に浦葵葉型

の扇を手にしつづけ、御嶽(うたき)のイビにひとしいこの

浦葵の木の下に座して神がかりするのである。 』


とその著書に書かれています。



古代、生命の誕生や命の糧となる米など五穀、作物の恵みは

「陰陽」=「火(日)」と「水(月)」  「男」と「女」など両極のエネルギーが

交わることによって生じ、その後「種」は「地」である母の「子宮」=「暗闇」

「洞窟」に一時「篭る」ことによって、ついには地表に現れる。

これを祭りによって人々は再現し、願ってきたのでしょうが

時代を経て、「調和」の交わりではなく「支配」というかたちに

変わっていったんだろうな。と思い、多くの地母神が埋没され

たりしたその中に「御穂須須美」もその1柱なる母神だったのでは

ないかしら。。。。と感じました。


余談ですが「穂」は「火」でもあると思います。そして「須須美」

は「神産巣日神(神皇産霊尊)」の「ムスヒ(ビ)」や「熊野夫須美」

の「フスミ(ビ)」に通じるものがあると感じます。

男女の結び、生産・生成を意味するのが「産霊」(ムスヒ)である

とあります。
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by nekonekonikuqu | 2010-07-15 12:39 | 夢解き・キーワード
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